見学 小柏研究室

2023/08/10

喜多方市小田付(福島県喜多方市・伝統的建造物群保存地区)見学 その2

文責:岩崎佑亮(学部4年)

 

1.保存地区の概要

名称   :喜多方市小田付伝統建造物保存地区

面積   :約15.5ha

選定年月日:平成30年(2018年)8月17日

 伝統的建造物(建築物)  190件 (みせ、主屋、土蔵、附属屋 等)

 伝統的建造物(工作物)  25 件(門、石造物、市神石 等)

 環境物件         13 件(庭、樹木、水路 等)

 

2.沿革

①    古代~中世

会津地方は、古代には陸奥国耶麻郡に属しました。源頼朝の奥州征伐後は相模三浦氏系の佐原氏が地頭職となり、一族で会津各地を分割支配しました。14 世紀後半になると蘆名氏が勢力を伸ばし、永享5年(1433)に新宮氏を滅ぼして会津一円を領し、会津守護を名乗ります。

②近世

天正 17 年(1589)に豊臣秀吉の奥州仕置により、翌 18 年(1590)に蒲生氏郷が会津に入部しました。寛永 20 年(1643)からは保科正之が入部し、三代正容から松平姓を用いるようになり、会津松平家が近世末まで当地を治めました。田付川中流域に位置する中田付では、中世から定期市が開かれていましたが、佐瀬種常(大和守)は、立地が不便であることを理由に市の移転を決定しました。天正 10 年(1582)に新たに市の町として開いたのが小田付の始まりとされています。近世中期以降になると、店の常設化が進み、表通りの町並みは居宅だけでなく、店が建ち並ぶようになり、在郷町としての性格を強めていきました。

③近代

明治元年(1868)9月の戊辰戦争では、家屋の大半(村の約7割)が罹災しました。新政府はいち早く満福寺に若松民政局小田付分局を設置し、早期の復興を遂げます。明治8年(1875)8月には、小田付を含め、小荒井・清次袋・塚原・稲村の5村が合併し、喜多方町となりました。明治 37 年(1904)には、岩越鉄道(現磐越西線)が開業し、若松から喜多方まで延伸されると、以後大正期にかけて隆盛を極め、商店等が経営拡大に伴う敷地の統合や間口の大きな店舗の建築を行いました。

④現代

喜多方は、第二次世界大戦では戦災を免れました。昭和 29 年(1954)3月に喜多方町、松山村、上三宮村、岩月村、関柴村、熊倉村、慶徳村、豊川村の8町村が合併して喜多方市となりました。平成15 年(2003)には町並みを保存しようと会津北方小田付郷町衆会が設立され、平成30 年(2018)重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

 

3.所見

小田付の街並みは、平入の真壁造店舗の軒高に高低があり、妻入の建物を交えて特徴ある景観を形成していた。また、真壁造の店舗のほか、洋意匠の建築、宅地後方の土蔵も残っており、当時の生活環境を感じることが出来た。土蔵造の建物については、店舗に用いた店蔵、商品蔵、米などを収めた穀蔵、醸造業の大規模な醸造蔵、内部に座敷をしつらえた座敷蔵などのさまざまな土蔵造の建物があった。土蔵の屋根には、置屋根形式の「二重屋」と軒先の蛇腹を漆喰で塗り込めたものがあり、塗り込めの断面形状には、直線状の「切っ立て」と円弧状の「繰り」がある。道中では、「切っ立て」を確認することが出来た。今回、訪れた小原酒造では、風情を感じる店内に加えて、店舗後方の酒蔵を見学させて頂いた。小屋組みにクイーンポスト・トラスを用いている他、火災対策に部分的にレンガ壁になっているなど、当時の状態を残していた。また、小原酒造含む町のいたるところで杉玉が見られる。これは色の変化とともに新酒の熟成具合を教える役割を果たしている。今回,小田付の歴史的な景観・建築を学ぶとともに、その地域性も感じることが出来た。地方ならではのコミュニティによって周辺情報を得やすく、街中で住民が自発的に歓迎して頂けたりと、あたたかい地域性によって観光地としてもとても満喫することができた。

 

 

 

 

参考文献

福島県喜多方市ホームページ「喜多方市小田付伝統的建造物群保存地区について」https://www.city.kitakata.fukushima.jp/soshiki/toshiseibi/19478.html (2023年8 月9 日閲覧)

喜多方市教育委員会「喜多方市小田付伝統的建造物群保存地区喜多方市修理・修景デザインガイド」

文化庁 文化遺産オンライン「喜多方市小田付」https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/400468(2023 年8 月9 日閲覧)