見学 小柏研究室

2024/05/03

虎渓山永保寺(岐阜県多治見市・国宝、国指定名勝)見学

文責:胡鐘毓(修士1年)

 

虎渓山永保寺(岐阜県多治見市 国宝、国指定名勝)

所在:岐阜県多治見市虎渓山町1丁目-40

 

概要

虎渓山永保寺は、臨済宗南禅寺派の寺院(修行寺)であり、夢窓疎石の同門、元翁本元(仏徳禅師)らが正和二年(1313)年に開創し、正和三年(1314)に観音堂、文和元年(1352)年には開山堂が建立した。山号「虎渓」の名称は景色が中国廬山の虎渓に似ていることによるといわれている。永保寺の最盛期には二十七カ寺、寛正四年(1792)には五カ寺と焼失なで次第に廃絶し、現在三カ寺が残っている。また、明治時期神仏分離政策の影響を受け、虎渓僧堂は一時閉単し、明治十四年(1881)に再興した。

 

所見

観音堂 

建立:正和三年(1314)

桁行三間、梁間三間、一重裳階付き、入母屋造檜皮葺。基壇は自然石で作られ、正面中央三間に五級の石階がある。礎石の上に身舎柱,裳階柱があり、丸柱の上部には粽が付く。頭貫、台輪の木鼻に絵様を付け、禅宗様出組(実肘木付き)とし、組物間は琵琶板が入る。禅宗様建築の特徴が多く見られ、朴素な外観が建物と庭園の関連性を強調している。

 

開山堂 

建立:文和元年(1352)

桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造檜皮葺、木造礎盤の上に丸柱上下粽付きとし、四周に台輪を組み、組物は三手先で二重尾垂木である。内陣の部分を見学できなかったため、架構面で禅宗様の特徴を見学ことができなかった。

 

庭園 

作庭:鎌倉時代

夢窓疎石の早期作庭と考えられ、池泉を中心として、自然環境と地形を利用し、正に中世の禅宗様庭園あるいは浄土庭園様式と考えられる。庭園中池泉と島を設計し、主体仏殿との空間関係も巧みに利用された。

 

 

参考文献

虎渓山永保寺公式サイト  https://kokeizan.or.jp/(2024.4.26閲覧)

文化財建造物保存技術協会『国宝永保寺開山堂及び観音堂保存修理工事報告書』多治見:永保寺,2012.11