見学 小柏研究室

2022/09/22

丸岡城天守(福井県坂井市・国指定重要文化財)見学

文責:高橋慧(学部4年)

 

今回はゼミ旅行の2日目に訪れた、福井県坂井市の丸岡城天守を紹介します。

天守バックの集合写真

 

沿革

・丸岡城築城

丸岡城は、織田信長の家臣であった柴田家の柴田勝豊によって、天正4(1576)年に築かれました。始まりは、信長が越前平定として豊原(丸岡町から東に6キロメートルの山合い)を侵略後、そこに城を築いたことにあります(1575)。その後わずか1年で丸岡町へ移城したと言い伝えられています。

・地震による倒壊

丸岡城天守は昭和9(1934)年に国宝に指定されましたが、昭和23(1948)年の福井大地震で倒壊してしまいます。それでも3年後には旧材を補修しながら修復工事が始められ、昭和30(1955)年に倒壊前の姿に再建されました。震災前の解体工事による豊富な調査記録や図面・写真が残っていたことが、再建時に大いに役立ったと言います。そのため再建後も戦国時代の天守を踏襲しており、国の重要文化財に指定されています。

 

建築的特徴

外観は入母屋屋根が二重で内部は三層構造になっています。この天守の形態は望楼型と呼ばれ、櫓の上に小さな望楼を乗せることから成立したといわれています。

屋根が「石瓦」で葺かれている点も特徴の一つです。石瓦は福井市内の笏谷石を加工したもので、瓦が北陸の厳しい寒さによって凍ることを防いでいます。鯱も震災前は石製でしたが、現在は木心銅板張りです。

「野面積み」という石垣の積み方も、戦国時代の石垣の特徴です。自然石をほとんど加工せずに積む初期の積み方です。石垣は時代を経るにつれて、表面の加工や切り石の使用という発展をしていきます。

石瓦

 

見学を通しての所見

規模は他の現存天守に比べて小さいながらも、見ごたえのある城郭建築に感じました。その理由は、垂木や下見板壁の木材が露出していることにあると思います。城は耐火などの理由により塗籠で仕上げられることが多いですが、丸岡城は木をふんだんに見せています。耐火上不利ではありますが、丸岡城はその素朴で繊細な見た目で人々を魅了するのでしょう。

また地元のシンボルらしく、望楼からの眺めは圧巻でした。

望楼からの眺め

 

 

記事を書くにあたり参照した資料

・重要文化財丸岡城天守修理委員会編『重要文化財丸岡城天守修理工事報告書』1955

・吉田純一『丸岡城~ここまでわかった!お天守の新しい知見と謎~』坂井市文化課丸岡城国宝化推進室編,2019

・山田雅夫『現代の都市設計家が解説 絵解きでわかる日本の城』2017