見学 小柏研究室

2021/12/02

市島邸(新潟県 新発田市・県指定文化財)見学

文責:松下裕介 (修士1年)

 

市島邸について

市島邸は、五十公野(いじみの)に居住し県内有数の大地主として、北越屈指の豪農となった市島家の邸宅です。現在の新潟県新発田市に位置し、最寄り駅は月岡温泉で有名な月岡駅です。邸宅の敷地は約8000坪に及び、建物の大半は明治初期の住宅建築、それを取り囲むようにして回遊式の庭園が広がっています。1962年(昭和37年)3月、「市島家住宅」として表門・本座敷・新座敷・数寄屋・廊下・居室部・門番所・倉庫・前土蔵・奥土蔵・茶屋・説教所の12棟1構が新潟県重要文化財に指定されました。

 

市島家の歴史

市島家発祥の地は丹波国氷上郡市島村(現、兵庫県丹波市市島町)にあると言われています。江戸時代に入り、永禄年間(1565~1568)頃、隣国の若狭国高浜(現、福井県大飯郡高浜町)へ移り住みました。当時、この地を治めていたのは後に新発田藩主となる溝口氏でした。

後に加賀国大聖寺城主となった溝口氏は、慶長3年(1598)に新発田6万石の城主となります。市島家も遠祖・治兵衛のとき、高浜から大聖寺、新発田へ溝口氏に従って移り、五十公野(現、新発田市五十公野)に住居を定めました。治兵衛の孫、同じく治兵衛を市島家初代とし、2代目喜右衛門が家業となる薬種業を始めました。この時、五十公野から水原(現、阿賀野市水原)へ移りました。

水原に居住して約150年、戊辰戦争の戦火で水原の屋敷は焼失してしまいます。そこで、7代目徳次郎は明治10年、天王の地に新たな邸宅を造営し、移り住みました。それが現在の市島邸です。

 

建築「市島邸」の所見

市島邸にたどり着くとまず、表門が視界に入ってきます。総欅材破風造りの四脚門で、1907年(明治40年)に銅板桟葺に改装されたそうです。簡素な造りに見えますが、目の前にすると堂々とした構えに圧倒されてしまいました。

 

邸宅部分に入ると、本座敷と母屋を繋ぐ渡り廊下を経て、水月庵が見えてきます。水月庵は庭園の池水に架した六畳と四畳半の数寄屋で、主人が風月を楽しむ他、賓客の接待にも利用されたそうです。落ち着いた雰囲気で、庭園を一望できるよう柱が飛ばされて開けています。また、池の上に建っているため、庭園との距離が近く、庭園に囲まれている気分になりました。

 

渡り廊下を更に進むと南山亭にたどり着きます。家族の住まいとして利用されていたそうで、広さは93畳、全12部屋からなります。また、今は再現できないとされる大正ガラスを用いた建具が用いられています。南山亭をはじめ、生活に用いられる部屋からは必ず庭園を眺めることができ、市島家の人々が大切にしてきたであろう生活と庭園とのつながりを感じ取ることができました。

 

 

参考

新潟県「文化財一覧(国・県指定等)」https://www.pref.niigata.lg.jp/uploaded/life/350510_637614_misc.pdf、2021年11月23日閲覧

新潟県新発田市「市島邸リニューアル」https://www.city.shibata.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/010/760/renew.pdf、11月23日閲覧

市島邸パンフレット